私が鬱になったのは中学校のいじめが原因でした。
それからリストカット癖が発症。
手首から肩にかけてぼこぼこしています。
一生の傷を負いました。
思春期の私にはどうも精神科と言う場所に抵抗があったのと、親には隠していたので誰にも相談できずになやんでいました。
高校の頃から市販薬でのオーバードーズを覚えてしまいリストカットに、オーバードーズに最悪な組み合わせでした。
その後こんなわたしでも美容師になりたいと専門学校に入学。
常に半そでではいけないのでリストカットはやめ、レッグカットに。
オーバードーズも頻度はかなり減りましたし楽しい毎日が多かったです。
楽しいと思えることで既に進歩したのかもしれない。
自分で治せるのかもしれないと期待を抱いていました。
しかし相変わらず「死にたい病」は治らず。
20歳になり煙草でほとんどストレス発散していました。
自分で鬱の自覚はありながらも受診をしない毎日でした。
そのせいで現在このようになってしまったのかもしれません。
なので私から伝えたいのは症状が悪化する前に病院を受診してほしいです。
切った傷跡はもう治りません。
そうなって欲しくないのです。
1人でも多くの人が辛い思いをせずに一生懸命生きてほしいのです。
心療内科は気軽に相談できる場所、と言う感じにとらえてもらえると行きやすいとおもいます。
精神科になると重い症状の方もおられるので、まずは心療内科を私はお勧めします。
わたしの体験が少しでも皆様に役立てると嬉しいです。
うつ病で精神科に通院して
私が精神科に行き始めたのは就職をしてからです。
朝は早く夜は遅く慣れない毎日と先輩たちの圧力がストレスになってしまったのか、頑張りすぎて燃え尽きてしまったのか、お店に行くと足がすくんで入れなくなってしましました。
駐輪場で倒れこんでいたいた時もあります。
それほど体が拒絶するのは初めてでした。
美容師になりストレスのはけぐちが何もなかったのも原因かもしれません。
同期もいなくひとりで背負って爆発してしましました。
それが原因で心療内科への受診を決めたのです。
当時の彼は鬱への理解がまったくなく、しかもフリーターだったので私のストレスは増えていく一方でした。
もし、パートナーさんが鬱になってしまったら否定せず支えてあげてください。
身近にいて頼れる人に突き放された時のショックはでかいです。
それからはパートナーとは別れ闘病生活が始まりました。
その時には既に美容師が出来る状態ではなかったのでとてもつらかったです。
わたしの闘病生活は今も続いています。
オーバードーズ防止のため週1で病院へ行き、部屋を燃やしそうになった事件もあるので監視のパートナーがほぼ24時間います。
私のように理解されないで苦しんでいる人も沢山いると思います。
どうか理解をしてあげてください、鬱病はなりたくてなった病気ではないんです。
脳の病気なのです。気持ちの問題とかいわれますが、コントロールできないのが鬱病なのです。
それをわかっていただきたいです。
だれにでも希望はある
先ほど体験談を話しましたが「絶望」している訳ではありません。
もちろんそのような時期もありますが、治るんだという希望は忘れていません。
本当に辛い時、「死のう」とすぐ思います。
しかし私が死んだら次に辛いのは誰ですか?
わたしは辛い思いをしてる人が1人でも少なくなって欲しいです。
けして善人ぶってるわけではなく本当です。
死ぬときは死後にかかる140万程のお金をためてからと決めてあります。
こんなバカみたいな目標でもいいんです。
生きているんですから。
神様はそんなにいじわるではありません。
きっとこれから希望を与えてくれると私は信じています。
現在無職ですが、ちょいちょいと仕事がはいってなんとか生活しています。
これも何かの縁だと思うようにしています。
私は絶望の中から光を探せる、そんな人間になりたいしだれにでもなれる力はあると思っています。
きっと今暗闇の中に居る方には響かない言葉かもしれませんが、いつかきっと希望が見れる時が来ると信じています。
私自身こんなにリスカにてオーバードーズして迷惑ばかりかけているのに支えてくれる人がいることが私の光です。
なんでもいいんです。
人間でも、ペットでも、趣味でも
「生きたい」とおもえることがあれば。
わたしはみなさんに生きる希望を失ってほしくないです。
だって誰にでも希望はあるんですから。
マイペースにやっていきましょう。