私は1996年に26才の時に結婚しました。
すぐに子供が欲しかったんですがなかなか出来ずで一年経って焦りが出て、主人と相談して不妊治療を開始する事にしました。
病院探しを始めましたがなかなか決まらず大きな病院から開業された産婦人科に通う事にしました。
自宅からタクシーで20分はかかりましたが自分がここに行きたいと言う思いから決めました。
最初は何も思いませんでしたが通って行くうちにタクシー代に治療費にとかかるんで、これはちょっとキツいな~と思い、また病院を探し直しました。
今度は人の口コミで大きな総合病院の産婦人科に不妊治療に力を入れている不妊外来、ホルモン外来があると聞いて、そちらに病院を変えました。
そこは完全に予約制だったのと家から近くてタクシーを使うほどでもなくて通いやすいのに良いと思いました。
不妊外来なんて、どんなんだろうとドキドキしましたが総合病院で沢山同じ悩みを抱えた方々が通院していて心強かったです。
担当の医師が決まり問診から始まり詳しく色々聞かれました。
内診をして、とにかく最初は検査検査でした。
不妊とは結婚から三年以上子供が出来ない人を呼ぶんだと言われましたが私は一年でしたが治療してからも、すぐにできる方もいれば三年かかる方もいて様々だと言われましたが検査をしながら色々とタイミング法で妊娠までこぎつけたらラッキーと言う期待を持ち治療に挑みました。
私は最初は排卵誘発剤で排卵を起こしタイミングで自然妊娠をと言う治療法を一年間頑張りました。
生理の周期を規則正しくしてからの自然妊娠を狙いました。
お尻に沢山の注射を打つからお尻が固くなり大変でしたし、注射の副作用も少しはあったように思います。
仕事をしながらでしたから負担がないと言えば嘘になりますが、とにかく一年間は頑張ってみようと必死でした。
一年間同じような治療法をしましたがなかなか妊娠には至らずで主人と私と、どちらかが原因かと言う検査を私は卵管の通りの検査をしました。
卵管で卵が精子と出会えるかと言うレントゲン検査に液を流して通りを調べたりしました。
どうやら私の卵管が片方の通りが悪いと言う判定でした。
主人は精子の検査をしましたが問題はありませんでした。
精子の生存率は一時間経っても、とっても元気が良くて数も無精子ではなく沢山動いてると言う事でした。
私が原因と分かれば、それだけでも進歩ですから次は違う治療法で挑みました。
主治医の先生からは人工授精を進められましたから一度試しましたが結果は妊娠には至りませんでした。
それからも最初と同じ治療法でタイミングを見てはと、やっていましたが一年以上治療開始してから経っていましたから焦りもありましたが、あまり治療治療も精神的に良くないから治療を一旦休むと言う話も出ました。
私も賛成でしたが歳が30才になるまでに一人産むと言う目標がありましたから、ゆっくりしてる暇もなくて休む事なく治療を続けました。
次に主治医の先生の提案は体外授精を勧められました。
これは費用も負担が多くて安易には決められないのですが今、色々やらなくては後がないと言う事で前向きに考える事にしました。
体外授精は費用も高いのですが自分の貯金を切り開き、最後の希として挑む事にしました。
一回で成功したら良いと言う願いを込めて頑張ろうと思いました。
体外授精を受けるにあたり看護師さんからの指導を受けて当日は主人は病院で精子を取ります。
トイレで普通に取るからと主人はあまり良い気持ちではなかったみたいでしたが頑張って取れたようでした。
女性は朝から点滴したりと色々処置がありましたが無事に三個の卵を子宮に戻す事が出来ました。
妊娠検査をするまでは鼻に薬を点鼻薬をさしたり、注射に病院に行ったりと終わりではありませんでした。
妊娠検査をする日は12月24日のクリマスイヴでしたからワクワクでした。
検査の日は主人に病院に連れて行ってもらいました。
待ち合い室で待って先生から呼ばれトイレで尿を取り出しました。
そしてまた待ち合い室で待ち名前を呼ばれて診察室に入ると判定キットが置いてありました。
先生がおめでとうございます。
ご懐妊です。
と丁寧に言われました。
少し信じられない気持ちでしたが判定キットは➕の陽性になっていました。
妊娠が確定で私は妊娠しました。
先生から気を付ける事や今からの妊娠生活に気を付ける事などの説明を受けて母子手帳の申請の仕方などを聞きました。
病院から主人に電話をかけましたが信じられない様子で、あまり喜びの様子はありませんでした。
とりあえず妊娠は出来たので出産まで頑張ろうと思いました。
出産予定日は夏、8月でした。
安定期を過ぎて胎動を感じるようになり性別を聞いたら男の子と言われて嬉かったです。
母子手帳を受取り出産準備も着々と進めて八ヶ月目に入り病院の健診でけつえき検査をした所血糖値が高いと血液検査の結果が出て妊娠糖尿病を発症してしまいました。
妊娠糖尿病は昔は命に関わる大変な病気でしたが今は治療したら出産出来ると言う事で安心しましたが出産まで後、二ヶ月になり、またもや試練がやって来て泣きそうになりました。
すぐに入院して検査や治療などの準備をしました。
入院はインスリン注射の打ち方や血糖値の計り方や、食事のカロリーの摂取の仕方などを二週間入院して習うのでした。
私は妊娠中だけのインスリン注射を打てば良いでしょうと言われましたが、中には出産してからも打つようになる方もいるみたいでした。
妊娠糖尿病は出産したら血糖値が安定して、殆どの方は良くなると言われましたが将来また、再発する人もいると言われました。
とりあえず治療をしながら赤ちゃんが巨大児にならないように母体が血糖値を正常に維持する事が一番と言う事で治療を一生懸命にしました。
後、二ヶ月頑張ったら我が子に会えると言う願いを込めて頑張りました。
内科の先生、産婦人科の先生、小児科の先生に支えてもらい8月に元気な赤ちゃんに会えると頑張りました。
糖尿病は喉が乾きやすくて夏の出産でしたから暑さが半端なく水分を随分摂取していました。
病気から退院してインスリン注射と血糖値を計り血糖コントロールをしながら出産の8月が近づいて来ました。
仕事を出産前までしていたので早く生まれるかと思っていましたが予定日丁度に陣痛が始まりました。
仕事を終えて、お風呂に入って、ゆっくりしていたらお腹の痛みが定期的に痛みだしたので病院に電話したら入院の準備をして来て下さいと言われ、糖尿病の注射器や道具、入院道具を持って病院に行きました。
朝には生まれるかな?と看護師さをには言われましたが陣痛が微弱でしたから、ちょっと長い、お産になりそうだねと言われました。
血糖値が低くなり低血糖にならない為にジュースを飲みながらの、お産になりました。
なかなか強い陣痛が来なくて分娩室に入ったのは朝方の五時でした。
まだまだ陣痛は弱くて私も辛かったですが頑張らなければと踏ん張りました。
私の担当の助産師さん、まだ新米さんで助産師さんになり一年くらいの方でした。
慣れていないみたいでオロオロしてらしたから不安ではありましたが優しく一生懸命にされていましたから私も頼りにしました。
朝方の五時に分娩室に上がり、いよいよ出産の時がやって来ました。
陣痛の強弱を示す機械と子供の心拍数を計る機械を見ながらで呼吸法をやりながら頑張って早く生まれるようにとイキミましたが、なかなか呼吸法は難しくて、すんなりは出来ませんでしたが主人が側で励ましてくれていました。
私のために三人の看護師さんや助産師さんや、内科の先生が頑張って下さり破水が先にきてしまいましたが分娩台に上がり四時間と長い分娩でしたが無事に男の子を出産しました。
生まれてきた我が子は泣く力が弱くて看護師さんに処置してもらいながら、あんたも生まれてきたかねーと言われた言葉が主人は印象的だったと後から言ってました。
体を洗ってもらう前に主人は息子を抱いて記念写真を撮ってもらいました。
体を洗ってもらい息子はNICUに入院しないといけないので、お母さんさよならと看護師が連れて行かれました。
無事に生まれましたが今から息子は検査で主人は徹夜で私の側にいて寝てないのに息子の入院手続きをしたり家に帰り用事を済ませたりと忙しくて、また昼からは息子の入院してるNICUに面会と大変忙しかったです。
私は疲れ果ててはいますが、お産の痛みがかなり激しくて病室に戻り休みました。
初めての出産は私にとってはかなり色々と大変でした。
身も心も本当に疲れ果てていましたが今から息子を育てて行かないといけないと言う責任を抱いたのでした。
出産してから入院は一週間で、その間に子供のお風呂のいれ方や母乳の飲ませ方や、母乳のしぼり方や色々な指導を受けました。
夜中も子供が泣けば起きて飲ましに行かなくていけないし楽に寝てはいられません。
息子もNICUから退院して普通の病室で過ごす事になり退院を待つばかりとなりました。
家に帰るとお父さんに、主人の母が待っていますから四人家族になります。
私は暫くはまだ内科も受診しないといけないのですが実家には帰らないので、ゆっくりは出来ないと思いました。
退院したらお風呂は主人の母がいれてくれて私は息子のお世話全般です。
新米ママは悪戦苦闘ですが息子が可愛くてメロメロになっていました。
ただ、母乳の出が悪くて息子の吸う力が強くてオッパイがキズが酷くて熱が出てしまい母乳をストップしてしまったせいで、オッパイは出なくなり息子はミルクに切り変えました。
栄養のある初乳は全て飲ませられたので良かったと思いました。
ミルクを飲ませると母乳よりも腹持ちが良いせいか夜泣きも少なくなり楽になりました。
でもやっぱり母乳をあげれないのは息子には申し訳ない気持ちでしたが許してねと心の中で言ってました。
息子が10か月になった時に第2子がお腹にいる事が病院で分かりました。
長男の時の主治医の先生がまた担当の先生で、お母さんお兄ちゃんが道を作ってくれたねと、おっしゃいました。
二人目の子供は治療せずに自然妊娠で出来ましたから主人も私もビックリでした。
一人っ子と思っていましたから二人目出来て本当に良かったと思いました。
二人目を妊娠してからも糖尿病の治療はしないといけないらしくて今度は妊娠が分かってから、ずっと血糖値のコントロールをしていました。
二人目は冬の出産で二人目なので、かなり楽で体重は16キロほど太りました。
お産も楽で陣痛から五時間と短いお産になりました。
二人目も男の子が生まれて二人の息子の母になりました。
長男を一人っ子にしなくて良かったと安心をしました。
二人目は男の子ですが女の子のように優しくて泣きかたも長男とは違いました。
不妊治療から二人の子供を出産して子育てが始まり幼稚園、小学校、今は二人の息子は中二と中三になりました。
幼稚園は地元から離れた大きな幼稚園に行かして、小学校は地元の小学校に行かして年子の親は双子と同じくらい大変でした。
自営をしながら幼稚園の行事に行き、小学校には入れば役員をしたりボランティアしたりと子供がいるから経験出来る事を沢山させてもらいました。
子供がいないと経験出来ない事だらけで私は息子達に感謝しています。
男の子だから女性の私には分からない事が多くて主人にも協力してもらわないと出来ない事もありますが、なんとか頑張っています。
長男は今年、高校受験で必死で頑張っています。
親も一緒に受験を受けるような気持ちで一緒に頑張っています。
小さな時は長男よりは次男が体が弱くて良く入院していて長男は主人や主人の母が見てくれていて私は次男に付きっきりでしたから
長男にも母親らしくしてやりたいと小学校で野球のスポーツ少年団に入りたいと言ったので全面的に協力してやりました。
役員をしたり、送り迎えに、練習や試合の時のお世話などです。
二年間ではありましたが私も良く頑張りました。
野球をしたお陰で長男も走るのが早くなったりと何事にも頑張る力が芽生えて良い経験になりました。
私も良い経験になりました。
中学では卓球部に入り三年間頑張りました。
上手くはありませんでしたが本当に卓球が大好きになり今からも卓球をしたいと言っています。
長男の頑張りが私の頑張る源にもなっています。
次男は体が弱かったせいで部活はスポーツをしていないですが、それなりに部活は頑張っています。
今年は長男、来年は次男と受験ですが今年は長男をサポートして来年は次男をサポートしてと私もやる気になっています。
長男は反抗期もあり私に反発したりとありますが私は長男の反発は、そんなに気にはなりません。
どんなに反発してもドンッと構えていたら、いつか息子も分かる時が来ると信じています。
反発も小学校から始まり少しずつ
良くなっていますが母親にしか当たれないのだと私も思い構えていますから平気です。
大きくなれば、なるほど悩みも大きくなりますが今は大変でも、いつか笑って思いで話しになると思っています。
息子達が自分の家族を持った時に、それが分かるのかな?と思います。
それまでは親は全力で支えます。
私も少しは息抜きを交えながら小さな時は余裕がありませんでしたが今は少し余裕も出来て来て息抜きも出来だしたの上手く調節してやりたいと思います。
妊娠、出産、子育てと振り返り、なかなかゆっくり振り返る時はありませんが、たまにはゆっくりと思い出に浸りながら思い出す事も大切だと思います。
まだまだ先は長いですが家族が皆、健康で元気でいる事が一番の願いです。
両親や周りの方からの愛情を沢山もらえる息子達は幸せだと思います。
人に迷惑をかけずに大きな夢や希望を持って立派な社会人になってくれる事を願っています。
途中で挫折する事もあるとは思いますが決して失敗を恐れずに色々な事に挑戦してもらいたいと思います。
失敗は成功の素で失敗から、教わる事は沢山あると思います。
親の体験や経験を話してやる機会も今からは沢山あると思いますから、それを素直に聞いてくれたら嬉しいです。
今の子供は昔の子供と違い守られていますから突き放す時は突き放して世の中の厳しさを教えてやる事も大切だと思います。
世の中には色々な試練が待ち構えていますから自分で対処が出来るようにするのも大切な親の努めだと思います。
親も長生きしてずっと側にいてやる事は難しいでしょうから親が早くに、もしも側にいられなくなっても自分で生きて行ける力をつけて欲しいと思います。
今からの子供達が住みやすい豊かで安全な日本を作って行けたらの願いが、どの親も願っている事でしょう。
自分の子供だけではなくて全ての世界中の子供達の幸せを願っています。
戦争のない幸せな世の中になれば良いと思っています。
それが皆の願いだと思います。